●発熱
早朝に熱っぽいので体温を測ると38.1℃。解熱剤を飲んで晩になってから医師に受診。心配のはしかではなかった。
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早朝に熱っぽいので体温を測ると38.1℃。解熱剤を飲んで晩になってから医師に受診。心配のはしかではなかった。
十分な睡眠で目覚めもスッキリ。午前は月刊番長の記事を書く。午後は東京からの荷物を受け取って片付ける。
睡眠不足のまま新幹線の車中でレポートを書くが中途半端になってしまう。国際社会の構造では抜き打ちで試験。資料持込可だったが量が多くなったので最近の資料だけをファイルに残したばかり。さっそくファイルを細かく分ける。社会メディア基礎演習Ⅲではレポートを出す。晩は第8回予算会。いくつかの部が承認されるなか説明が不十分で次回送り。なかなか厳しい。
港区によるNPOとの協働の一環としてNPOハウスは先駆的な試みだったと思う。ただ港区は東京都心のため、地域団体よりも全国団体のニーズが強かったのが予想外だったかもしれない。いずれにせよNPOも区も成果と課題を今後の活動に生かすことが重要だ。
ベンチャー起業家が拠点にした六本木ヒルズと市民活動が拠点にしたみなとNPOハウス。この対照的な二つの施設はほぼ同時期に六本木に誕生したが、NPOハウスは来月で閉鎖となる。いくつかのNPOは六本木で成長して独自の事務所を構えたが、私たちは連絡所に逆戻りで力不足は否めない。新たな決意のもと六本木を去る。
シチズンリテラシーについて学習会。政治教育・市民教育は民主制(デモクラシー)のインフラ整備であり、ドイツのように各政党が助成金を活用して財団をつくるなど積極的に取り組む必要性を感じる。
NPOハウスなどでお世話になったNPO代表にご挨拶。最近の活動などについて意見交換する。NPOハウス閉鎖まで1ヶ月になった。
日本社会の構造で困民党について学ぶ。借金の棒引きや繰り延べを求めた困民党は、明治政府が強力に推進した近代つまり江戸時代に「田畑永代売買禁止令」で禁じた土地を売買を認める考え方と対峙していたとの話。
今年も稲が植えられた田んぼから蛙の鳴き声が聞こえる。
プレゼミで10名の学生が研究テーマと理由を述べる。「学校と時計」は校舎についている時計について考えるというもの。着眼点が興味深い。
メディア・リテラシー論は自分のメディア史から社会的存在としてのメディアを考える。グループディスカッションではラジオは聴くか聴かないかはっきりと分かれる。だからラジオはテレビやネットとちがい限られた受け手のニーズに応える比較的自由な制作が可能なのかもしれない。
自宅で家事などこなす。久々にテレビで土井たか子さんの護憲の主張を聞く。
昼は大学で作家の重松清さんの「日本語の読み書き」についての講演を聞く。「言葉」とは「想い」であり、差出人と受取人のある言葉のやりとりが大切との話。
晩はマス研の新歓飲み会。2回生は全員が人文学部だが、1回生にはマンガ学科やアニメーション学科の学生がいるので授業内容などを聞く。
久々の大阪。最近知り合った政治家志望の友人など若い世代の交流会。
日本社会の構造で自由民権運動について学ぶ。ヨーロッパの市民革命が市民的自由の拡大によって力をえた市民による政治的自由獲得の闘いだったのに対して、自由民権運動では市民的自由よりも国会開設という政治的自由が重視されていた。つまりFreedom(~からの自由)は意識されてもLiberty(~への自由)に対する意識が希薄との話。今日の日本社会につながる特徴が現れている。
前大阪府議会議員の尾辻かな子さんが公認される。民主党は視覚障害者、アイヌ民族、薬害エイズ被害者など多くのマイノリティが国政に参加してきた。私が手伝った2001年の森元美代治さん(ハンセン病回復者)の選挙で感じたが、当事者にしか分からない感覚はたしかにある。セクシャルマイノリティの想いを抱いての挑戦にエールを送りたい。
国際社会の構造で戦後の米ソ冷戦が一即触発だったキューバ危機について学ぶ。核開発や宇宙開発に象徴されるように1950年代の社会主義国は勢いがあった。でも学生はベルリンの壁も東ドイツも物心ついたときにはなかった。時代を感じる。
いろいろな評価があるが投票権年齢が18歳になったのは特筆すべきこと。これから見直すべき成人年齢関係法令の範囲を検討する課題が私たちに迫っている。
1991年の設立に参加した子どもの権利条約ネットワークの定期総会で運営委員に復帰する。中心的担い手が設立から代わらないことに昔は批判的で、いかに交代できるかが重要だと考えていた。でも最近は担い手の交代の有無ではなく、会としての趣旨・目的が社会的意味を失っていないかを問うことが重要だと考えている。
NPOの効果的な広報戦略について政治系NPOのリーダーから話を伺う。インナーブランディングが重要との指摘は私たちの励みになる。人脈づくりへのエネルギーの傾注は、過去に勧誘実績のあるメンバーの共通項であり、社会人中心になったことで物理的制約があるものの可能性はむしろ広がっていると感じる。とても有意義な学習と意見交換になった。
久々に集う。昨夏のイベント以来の再会もあれば、AO入試で世話になった職員が退職後に嘉田選挙に参加して再び人脈がつながることも。所属・支持党派も様々で、同じような会が東京ではできないのではと感じる。
4月に中止が発表された五月祭について実行委員会から事情説明を受ける。祭をつくる立場と参加する立場が固定化された状況を変えたいとの理由。これを受けて各参加者がやりたいことを始めるなかで日程などを共有していくこととなった。
在日外国人と日本社会の講義で日本語を話せない外国人患者が日本人医師に病状を伝える体験。渡されたカードは「ろれつがまわらない」で、どうやって伝えてよいか戸惑ってしまう。医療通訳の必要性を痛感。
3回目の学友会予算会。援助金をめぐって結構厳しいやりとり。
大型連休も終わって夏休みまで前期の講義も本格化する。
野村美術館で「茶人の消息とちなみの茶道具」特別展の後期を見たあと菓子と茶をいただく。豊臣秀頼筆の和歌巻の冒頭に君が代があった。
大徳寺と北村美術館を見る。とくに大徳寺の高桐院がよかった。参道は苔や竹や葉など様々な緑で埋め尽くされ、細川忠興の建立した茶席松向軒は静かなたたずまい。連休後半だが人出は少なく、天気がもったので鴨川の納涼床にも足を運ぶ。
みどりの日が4月29日から5月4日に変更。安易に祝日の日を変えてよいのか疑問だ。海の日や昭和の日では多くの議論があった。祝日法における国民の祝日の位置づけをよく考えるときかもしれない。
日本国憲法施行60年の憲法記念日。立憲主義の理解なしに改憲を議論しても意味がない。
晩は連日の学友会予算会。マス研として部長とともに活動予定と予算の説明。
連休の谷間だが英語の授業は行われる。晩は学友会援助金の予算会。これから毎週つづくマス研会計の仕事。