折り返し
2回生が無事に終わり大学生活も後半戦。貴重な時間を無駄にしないよう心がけたい。
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2回生が無事に終わり大学生活も後半戦。貴重な時間を無駄にしないよう心がけたい。
民主党の暫定税率引き下げの主張を1年限定と誤解するほか、いつものように他人事な受け答えに終始する。“福田カラー”を問われること自体が総理の顔が見えないことの象徴。
新幹線で東京に戻る。NPO法人(申請中)ど・あっぷ!のイベントに出席。学校での社会科や「総合的な学習の時間」を活用したシチズンシップ教育についての教員の報告を聞く。ネットワーク構築とともに金銭面での条件整備の必要性を痛感する。
久々の学校。成績やシラバスを受け取ったあと情報館でマス研会計ノートをまとめる。履修ガイダンスを受けてから会計ノートを自治会に提出。これで会計の仕事は一区切り。晩は利休忌で来ている母や大学の先輩と会食。遅くまで飲んで歌う。
いよいよ岡山での応援も最終日。昼休みに暫定税率廃止署名を呼びかける連合の皆さんと再会。遊説などのあと終電で京都に戻る。
ひきつづき遊説など応援。晩は友人・知人と会食。積もる話で笑いが絶えない。終電で金光の祖母宅に戻る。今日は江田三郎さんの社会党離党から31年、社会民主連合結成から30年。
再び遊説など応援。晩は関係者と情勢分析と意見交換。短期間での感想だが、ポスターが要所に掲示される他、本人が積極的に遊説などで有権者に見える活動を展開している。たしかに自民党現職は大きな壁だが、参院選による意識変化や人口が一定程度集積している県庁所在地であることを考えると面白い戦いにもち込めると期待している。
今日は終日金光。伯父を訪ねて昼食をとった後は祖母と話など。
高井崇志さんの後援会幹事会に出席した後ともに市内各地を遊説する。やはり道路特定財源と暫定税率の廃止が訴えの中心になる。途中下車して関係者に紹介もできた。ようやく金光の祖母宅泊。
朝から夕方まで遊説。久々に駅前や天満屋でも話した。懐かしい土地だが町名が以前のように思い出せない。
高井たかしさんの応援で久々の岡山。さっそく駅から市内北部を遊説する。晩はたこ焼kuyaで気の置けない友人と遅くまで語らう。
夜行バスで京都に戻る。卒業する先輩を送るためにマス研の部室。マンガ学部の先輩を送る。晩は自治会の卒業生を送る飲み会。5年前の自治会長から貴重な活動の話を聞く。
この1~2週間で仕掛けたことが一気に動き始める。春休みのうちにかたちにしたい。
2003年7月の開設から約5年で達成する。毎日の更新を心がけたい。今日は父方の祖父の命日。
台湾総統選挙の最終盤にチベットで暴動発生。民進党への追い風になるだろうか。
NPOの事務仕事。年度末は処理事項が多いが一つ一つ片づけるしかない。
夕方にNPOの会合。効率のよい話し合い。晩は子どもの権利条約の活動でお世話になった方と会食。終了後に一人でゴールデン街に流れる。
今日で寝台急行「銀河」が廃止されると大きく報道される。私は議員秘書時代に東京から大阪へと戻るとき利用した。大津で快速に乗り換えると高槻で朝遊説に間に合ったのだ。新幹線並みの料金のうえ自動販売機もないなどサービス水準が低かった。東京・大阪の需要を考えると廃止は惜しい。
石原都知事の責任をめぐって都議会で激論がつづく。来年は都議選だけに議員も安易な妥協はできない。
晩に公私とも有意義な意見交換。物事を実現するには様々な役割の存在が重要だと感じる。
法制審民法成年年齢部会が始まる。民法に止まらず年齢条項全般を包括的に検討する枠組みを国会や政党で構築してほしいと申し入れや意見交換。
東京大空襲から62年。私の父方の祖母から山口県宇部市で空襲にあったとき燃えなかった焼夷弾を祖父が片づけた話を聞く。戦争を経験した世代が少なくなる。
実家で花見会ならぬ猫見会。1982年から2001年まで19年間飼っていたムーの猫親戚(飼い猫同士が親戚)などが集合する。猫を肴に酒を飲み交わす。
政治・マスメディア関係の飲み会。互いに知らないことも多くよい刺激になる。
鳩山法相が法制審議会民法成年部会について会見で「私が押し付けるわけにはいかないが、国民的大議論が期待されるテーマ。従来の議事録でいいのか検討してほしい」と述べる。ただ発言委員名の非公開を決めた議事規則に触れていないため変更されるか不透明だ。
18歳成人を審議・調査する民法成年年齢部会の委員が決まる。政治教育の充実策を含めて動きを起こさねばと考える。
ついに花粉症の症状が現れる。しばらくはマスクを離せない生活がつづく。
東京に帰省して1ヶ月になる。久しぶりに長期間の滞在だ。バイトを中心にNPO活動や友人・知人との面会など。読書がすすまない。
石原慎太郎都知事が18歳成人・選挙権について成人式で騒ぐ若者などを理由に「こっけいな試み」と反対する。この会見で知事自身が触れているが参院選全国区に初立候補したときの公約に18歳選挙権を掲げていて、自民党本部でシンポジウムを準備したら田中角栄幹事長(当時)に怒鳴られたとのこと。
怒鳴られたから考えが変わったわけではないだろうが、1975年の都知事選での美濃部都知事(当時)への高齢批判といい、若いときは高齢批判して高齢になったら若者批判するのはいかがなものか。
いよいよ季節到来のようだ。今は辛くないが油断してはならない。
読売新聞の「時代の証言者・樋口恵子」で都知事選挙立候補に触れるくだりを読む。2003年の石原慎太郎都知事への挑戦は300万対80万という結果だったが、経営悪化によって追加出資を都議会に提案するに至った新銀行東京創設を公約する石原知事に樋口さんは反対の立場で戦った。
2007年の都知事選や1月の大阪府知事選などにもつうじるが、厳しい状況でも有権者に選択肢を示すことの重要性を、樋口選挙に参加した一人として改めて感じる。樋口さんの「80万人の人々と手をつないで歩きたい気持ちになりました」という言葉が胸に響く。