立ち位置(党派性)
参議院選挙が近づくなか、ネット選挙運動解禁も相まって、投票を呼びかける活動など若者の政治参加に関する報道が増えている。ただ私は「政治に関心を持とう」「選挙で投票しよう」と訴えるだけでは不十分と考える。
政治学者の山口二郎が『政権交代は何だったのか』(岩波書店・2012年)で「市民が民主主義を担うに足るだけ成熟するということは、それぞれ価値観や信念を持ち、それに照らして政治家や政党を評価する能力を身につけるということである。つまり、党派性を自覚することが、市民として成熟する条件である」と述べている。
さらに山口は、1990年代から政治改革を主導した「21世紀臨調型」政治学が、新自由主義的な構造改革の是非について議論を避け、もっぱら統治形式への関心に偏重してきたとし、そのことで「日本ではマニフェストの具体性のみが強調され、政策が目指すべき理念、価値観が捨象されている」と指摘する。
私は「若者の政治参加」「18歳選挙権」「政治教育」を課題に超党派的な活動を志向してきた。そのこと自体が間違っていたと思わないが、自分自身が政治参加する場合の立ち位置(党派性)まで曖昧にしては意味がない。山口は前掲書で「党派性を一切消去して政治に関する啓蒙活動をすれば、およそ実践に役立たない無内容な宣伝に終わるのが必定である」と喝破しているが同感だ。
ネット選挙運動解禁の参議院選挙だからこそ、それぞれが政治的な立場を表明することが重要だ。私はさらなる雇用の規制緩和、原発の再稼働や輸出、立憲主義を無視した憲法論議などの政治路線を軌道修正すべきとの立場から、政治家や政党を選び政治活動および選挙運動に参加する。